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古奈温泉、長岡温泉いずれの温泉地区でも昔は温泉が自噴していたと考えられています。 |
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温泉への関心と需要が高まってくるにつれ自噴温泉だけでは温泉の供給が足りなくなってしまいます。 |
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地面の下へ下へと温泉を求めて温泉利用者たちは源泉井戸を掘っていくことになります。すでに上総 |
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掘りという井戸掘りの技術が確立していましたので、その方法で大正末までは掘られていたようです。 |
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温泉の源泉井戸の深度を飛躍的に深くしたのは、電気の開通とコンプレッサー揚湯機の出現でした。 |
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コンプレッサー揚湯機は深度200mまでの揚湯を可能にしました。 |
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昭和40年代からの観光ブームは当地にも大きな活況をもたらし、温泉利用施設の新規参入ととも |
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に源泉を求めて新規掘削が多く行われ最大時には地区内では130本以上の源泉が開発されました |
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各施設は自由に使いたいだけ揚湯をし、使わない温泉は捨てている状態でした。年間揚湯量は |
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120万㎥を超えていたと想像されます。源泉孔における湯面はコンプレッサー揚湯機の限界 |
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とされていた200mに近くなり各源泉からの揚湯量も減少し、各施設では重油ボイラーなどを |
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導入し温泉の足りない部分を沸かし湯で対応していました。 |
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昭和48年に発生したオイルショックの波は当温泉地も直撃をし、ボイラーによって足りない温泉を |
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沸かしていた施設にとっては死活問題となっていきました。かたや多くの源泉を持つ施設は温泉を |
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必要以上に揚湯し余った温泉を捨てていました。やっと、源泉所有者たちは協力をして対策の為 |
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中央温泉研究所や静岡大学に調査を依頼しました。その結論は、現状のままではいずれ源泉が |
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枯渇してしまうこと、ただし源泉の湧出量は十分に地域の需要を満たすことが可能である事から、 |
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源泉をとりまとめ集中管理することが最善の方法であるとのことでした。 |
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昭和51年に当時の伊豆長岡町長でもありました松本重造氏を理事長として組合が設立され |
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直ちに集中管理の為の工事が行われました。工事の内容は温泉地内に約12kmの温泉本管を |
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敷設し、地内にある源泉130本を40本に集約をし、その源泉から揚湯された温泉を本管に圧入 |
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し、2か所の中継タンクを設置しその同じ配管から各施設へ配湯するという集配湯同時システム |
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ともいうべき当地にしかない配湯システムでした。 |
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工事費は組合員からの出資金1億円、借入金、中小企業高度化資金3億円、市中銀行4500 |
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万円、伊豆長岡町6,000万円の約5億円となりました。12kmの配管埋設とタンク2基を約1年 |
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の突貫工事で完了いたしました。 |
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集中管理が始まったことによって化石燃料を使うことなく、自然のままの温泉を供給し、使用する |
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が可能となりました。 |
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